前回の記事ではご心配お掛けしました。
師匠から「もっとアホになれ」という高尚(?)な助言をもらい、なんだか吹っ切れたようです(笑)
今日は、最近私が感じた事を書いてみます。
私は、「愛されている」「愛されてきた」事を証明するために病気になったんじゃないだろうか。
4歳の私を残して母親は出て行った。
「迎えに来るからね」という言葉を残して。
私はずっと、私を残していなくなった母親、迎えに来なかった母親から愛されていないと思ってきたのかもしれない。
というか、愛されていなかったから……と考えないと耐えられなかったんだろう。
だって、愛されていたのに置いていかれたと思う方が辛いから。
そうして私の「愛されていない」を証明する為の人生が始まったんだと思う。
「愛されていない」と強く思い込んだ私は、「愛されていない」証拠ばかりを探した。
本当は、たくさん愛を注いでくれていた人の、たった1ミリの愛が無い(と感じた)
所に目を向けて、「ほら、やっぱりあなたも愛してくれないでしょ?」と拗ねてきた。
本当は自分でそう仕向けてきたのに。
それによって失ってきたものは多かったと思う。
結婚生活もこの思い込みによって自分が壊したんじゃないかと今では分かる。
でも、病気になって自分が愛されている、愛されてきたと認めざるを得なくなった。
私の命を救うために必死に動いてくれた人、
手術の成功を祈ってくれた人、
応援や励ましの言葉をかけてくれた人、
お見舞いに足を運んでくれた人、
命が助かった事を泣いて喜んでくれた人、
私がどんな風に変わろうと生きていてくれるだけでいいと言ってくれた人…
これだけの「愛されている」証拠を目の当たりにしたらもう拗ねられない。
降参。
「愛されている」世界はとても優しい。
今まで1人で乗り越える事しか知らなかったけれど、これからはたくさんの愛が後押ししてくれてると思える。
決して1人じゃないと。
そして、私の前からいなくなった母親もきっと私の事を愛してくれていた。
だから、今の私がいる。
37年かかってようやくここに辿りつけた。
それだけでも私が患った病気の恩恵はとても大きい。
私はこれから、救ってもらった命の残り時間を使って、私と同じように「愛されていない」と思い込んでしまった人の「愛されている証拠」を一緒に見つけていきたい。
それが私の使命だと思うから。
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